【寄稿文栗原さんの「中国レポート」】
(2008年2月6日開設)

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栗原さんより「中国レポート」をいただいた。

栗原氏、4つめの寄稿文。
@ロデジャ・クライミング報告2005
Aプラナンレポート2005-2006
Bプラナンレポート2006-2007
そして今回のレポートである。
ほんとに、ありがたい。

byたきやん

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中国に行ってきました。 by 栗原

12月28日

  研修の為、仲間より数日遅れて中国へ向けて出発。
機内で隣に座った女性と話をする。
彼女は3年前に青年海外協力隊でブラジルのアマゾン川流域に滞在してたとのこと。
そこで日本語を教えていたそうだ。
いろいろおもしろい話を聞かせてもらったが、なかでもおもしろいのは食事の話。
テレビでよく見るカブトムシの幼虫の大きいような芋虫を食べていたとか。
あの芋虫はココナツの実のなかに生息しているので、ココナツ味。
焼いて食べるといけるが、生は芋虫の足が舌にザラっとした感触を残すのでちょっと厳しいらしい。
そんな話題で盛り上がり、あっという間に広州。
国内線へのトランジットは空港内で人に聴きまくりなんとか到達するが、
たいていの人の答えは「あっち」とか「2階」とかあいまいなものであった。
「ついてきて」と言われてほっとするが、それも途中までであった。
桂林空港からホテルまでのタクシー。
運転手はにこやかに中国語で話しかけてくるが、こっちは「?」。
そのうち携帯を私に差し出して、何か言ってる。
最初は携帯を自慢してるのかなと思って、すぐ返したが何度もまた差し出す。
何か分からず「ハロー」というと返事がきた。
早口の英語でまくしたてるので、
「ゆっくり話してくれ」とというと
「旅行代理店です。なにか予約するものはありますか?」とのこと。
中国ビジネスはたくましい。
ホテル着。
タクシー代を払おうとすると、メーターは66元
(1元=17円、ちなみに現地で知り合った人のバイト代は時給3元)
なのに
99元と言われた。
さっそくボラれるのか。まけてたまるか!と食い下がる。
日本語
+英語対中国語で対決。
しかし、途中高速道路を2回通過しているのでその料金が原因であった。
運転手はきわめて良心的で、私の無礼な態度にも怒ることなくにこやかに去っていった。
空腹を抱えてチェックイン。
レストランはすでにしまっていたが、サンドイッチぐらいならできるということで、
わざわざ私の席だけポツンと明かりをつけてくれた。
特大サンドイッチにむさぼりつき、ビールを流し込む。

 

12月29日

 ホテルからバスターミナルへ。
大きいザックを担いで町をあるいていると、あちこちから声がかかる。
おばちゃんたちがホテルがあるとしつこくついてくる。
いくら断っても
20-30メートルぐらいは離れずについてくる。
おかげで、バスターミナルを見落とし時間をロス。
途中、路線バスをまっている高校生ぐらいの女の子にバスターミナルの場所を聞くとと
Over there」と英語で返事が返ってきて感動。
道を聞くには若者にかぎるということを実感。
バスターミナルはでかい。
ウロウロしていると係のお姉さんがこっちこっちと手招き。
ここの係のお姉さんたちは、中国の一般人にしてはきれいに
(日本人の若者のように)お化粧をしていた。

 バスのなかでは、車掌さんが隣にすわったので、
さっそく中国語ガイドブック片手に話しかけるが、アクセントが難しく全く通じない。
そのあとは車中ミニ中国語講座となった。
80分で陽朔着。なんとか無事ホテル着。
先発隊の友人の案内で、最も有名な月亮山へ。
入山料15元。巨大なアーチ状の岩場で観光地にもなっており、人も多い。
そこで、先着メンバー4人と合流。
その岩場で、北京から観光に来ていた中国人(名前はリサ)と話をする。
彼女はヨーロッパにも滞在経験があり流ちょうな英語を話すインテリ風の人であった。
中国では政治の話題はタブーとのことであったが、この人なら大丈夫と確信し、政治を話題に。
ちょうど福田首相が中国を訪問中で、北京大学で演説をすることになっていた。
そこで私は
「首相は日本が戦争中に行ったことに対し、演説のなかできちんと謝罪すべきだ。」
と彼女に言った。
すると、彼女はドイツに滞在していたこともあり、
「ドイツの首相はポー
-ランドを訪れて謝罪するときはひざまずく。」と話してくれた。
たぶん、献花する時だろうが、日本政府の対応との差を思い知らされた。
「もちろん日本の人は好きだが、政府は・・・。」とのこと。
彼女は福田首相の父のことや安倍前首相の右より姿勢のことなど、
日本の政治にずいぶんと詳しかった。

 次は西洋人3人組。
中の一人が「日本のどこから来たのか?」と聞くので「京都」と答えた。
すると「私は中京区に住んでいて
ECCで英語を教えている。
クライミングジム京都クラックスにもよく行く。」
我々のメンバーもクラックス常連なので、当然顔を合わせているはず。
クライミング界は狭い。


Moon Hill :トライしたルート}

The Dark Side of the Moon(5.10d)
一カ所トリッキー。アップのつもりであったが、手が冷たくテンション。

Artemis(5.11a)
快適ガバルート。O/S

Lepotica(5.11a)
最後3ピンは隣の11Aルートに合流してしまう。
最後はかぶっていて腕はパンパン。 
遊歩道すぐ横なので、観客多数。フラッシュバチバチ!
 
M O/S

 

12月30日

 朝食後、ホテル横の市場を見学。
広い市場で多くの人が一斉にいろいろな動物を解体している様子は圧巻。
犬が丸ごとゆでられて、まな板の上にのせられているのにはビックリ。
テレビのニュースで福田首相の訪問と談話について流れていた。
福田首相が台湾の独立を決して認めていないと報道。
[never]という語が異様に強調されていた。
夕食は陽朔名物川魚のビール煮。
ピリ辛味でうまい。
クライミングシューズ(
Five Tenレースアップ・C4ラバー)を530元(約9000円)で購入。
50元しかまけてくれなかった。

{Lei Pi Shan: トライしたルート}

Name?(5.10a)
アップ。変化がありおもしろい。F

Ma Jie(5.10d)
これも石灰岩立体クライミング。F

Pickpocket(5.11d(c))
トポには11cとあるが、解説には11d。ポケットガバでかぶったジムナスティックなルート。
はずれポケットをつかむとつらい。
オンサイト失敗。
2撃。

Jeja(5.11a)
ラインどりがトリッキー。フラッシュを狙うもすでに腕は終わっていた。失敗。

 

12月31日

 再び月亮山へ。風が強く、強烈に寒いガマン大会。胃の調子も悪い。
観光客の歓声が心の支えで、クライミング写真撮影大会となった。
夕食のナマズのビール煮も美味。


{Moon Hill:トライしたルート}

Emission Control(5.9)
ランナウトしてラインも読みづらく、5.9にしては厳しい。高度感満点。M O/S

Luna Nascente (5.10b)
腕にくる。これも10bにしては手強い。ヒールフックを強いられた。 O/S

Proud Sky(5.12a/b)
12にしてはお買い得。核心は一カ所。
ガバルートで見栄えもよく、次回は必ずトライしたいルート。
しかし、腕は終わっていて、核心突破ならず。

Pegasus(5.11b)
コルネが楽しい。ニーバーもばっちり。ムーヴも解決し3便出すが、パワー不足。

 

1月1日

 快晴。The Butterfly Spring へ行く。
観光用洞窟の入り口で、蝶のオブジェの横を登る。
こんなとこいいのか?という感じ。
そのあとは
Wine Bottleへ移動。
クライミングは午前中で切り上げ、町の食堂でビーフン(ラーメンみたい)を食べる。
小で
4元。うまい。
中国では韓国と同じく器を持ち上げることは行儀がわるいようだが、
おいしい汁を飲み干したいので周りを気にしながら持ち上げる。
でも、中国の人はピーナツの殻なんかは食べた後床に落とす習慣があり、
この店でも床には器に入っていたタニシの殻が散乱して床は油だらけであった。

 ホテル前で、ジャンジャンとシンバルが鳴るので何事かとみると、
子ども二人が大道芸をしている。
二人とも少しうす汚れた服をきているので一目で貧しいと分かる。
一人は、シーソーの端に皿のせ、シーソーに乗ってそれを飛ばして頭に乗せる芸。
もう一人の女の子は軟体動物のように、ブリッジしたり筒の中に入り込んだりしている。
見事!

もちろん木戸銭を集めていた。

 陽朔は桂林川下りの終点として有名。
しかし、この時期水不足で川下りは中止。
旧正月になれば、ダムの放水があり再開するらしい。その川縁に出かけた。
すると、船が何艘か浮いていて、洗濯物が干してある。
どうやら、船で生活している人がいるようだ。

 テレビはコマーシャルも歌番組もあまりにも西洋化されている。
日本と変わらない。
英語放送のチャンネルで、温暖化問題をやっていた。
中国の元ベルリン大使がインタビューを受けていた。
彼曰く「先進国は何世紀にもわたって
CO2を出してきた。
その影響が今出ている。
それなのに後進国に
CO2排出制限を求めるのはおかしい。
我々に発展をやめよというのか。
先進国は効率的エネルギー利用技術を我々につたえるべきだ。」と持論を展開していた。
この論法が中国では大勢をしめるのだなと実感。

 スーパーに入って、おもしろい酒を発見。
コブラとサソリの入った酒。
98元。
飲み干したあとのコブラとサソリを希望の人はお知らせください。


{トライしたルート}

The Butterfly Spring
Name?(5.9)
赤いペンキでマーキングあり。しかし、ランナウトし終了点も悪い。

The Wine Bottle
The Miracle of Lankou(5.9)
快適なルート。長く登りがいもある。さすが三つ星。

 

1月2日

 快晴。白山に行く。
途中の村は寒村で、牛が畑でのんびりとしていた。
景色は桂林特有の山並みがすばらしい。韓国クライマーと再会。
トップロープでルートを独占されていたのがちょっと。
キムという有名クライマーは食事もせずトイレにもいかず
一日壁にぶら下がってルート開拓をしていた。
そのスタミナには脱帽。


White Mountain:トライしたルート}

Face Route(5.11a)
長いガバとカチのルート。
少し細かい所もあるが、おもしろいよいルート。
MO/S

Wow Wow Mei Ao(5.11c(b))
フレーク、コルネと変化に富んだ好ルート。☆のないのが不思議。2撃。

 

1月3日

 いよいよ最後の日。
小さな村のそばにある岩場に行く。
畑には水牛や馬、田んぼには鴨。
農民は一日中ずっとレンコンを収穫していた。
村には電気はあるが、ガスはない。水道もない。
まるで日本の
50年前の農村のようである。
(まだ生まれてないが)思わずずのんびりとした気持ちになる。
しかし、週刊誌「金曜日」に連載されていた従軍慰安婦のルポの現場はこのあたり。
洞窟に逃げ込んだ女性たちが日本軍に連れ去られた話や、
現在のつらい生活の記事内容を思い出し、胸が痛む。

 桂林へバスで移動。
桂林のレストランで、バイトの女の子たちに囲まれる。
みな好奇心に満ちた目でこっちをみている。
これは洛東高生が新しい
AETを教室に迎えるときのそれである。
ガイドブックを見せてあげると、仕事そっちのけで日本語の練習。
「ありがとう」「さよなら」「はい」「いいえ」をマスター。
年齢は
16歳。さすがに漢字は上手。
きれいな字を書くので、こちらが恥ずかしい。
宴会場の片付けもワーワーキャーキャー言いながらやってた。
これも洛東高生の掃除の時間を思い出させた。
レストランの帰り、川のそばの公園では、野外カラオケ店。
少し離れたところでは、二胡(胡弓)の練習会。
そばでじっと聞いていると、弾いてみるかと渡された。
「待ってました」とやってみたが、ボロボロ。
あとでもう一度やらせてと頼んだが、無視された。
橋の上には、何人かの盲人が二胡やギターを弾いて、
というよりただ単に胃音を出して物乞いをしていた。

The Egg:トライしたルート}
Chocolate Milk Crack(5.9) Fried Egg Face
長くて易しい快適ルート。これぞ5.9 MO/S

Name?(5.11a) North Face
トポの解説通りチビには厳しい。ハイステップを多用。
最後の核心はスタンスのマーキングに助けられた。
次の人のために(?)きちんと消しておいた。
MO/S

The Final Decade(5.10d)
一カ所細かいが、ガバ主体の好ルート。MO/S

Hustlers Roof(5.11c)
核心一カ所のみ。時間切れ。もう一便出せればと悔やまれる。

 

1月4日

 なぜか広州行きの飛行機が欠航。
飛行場で
3時間ほど買い物。
夕方、広州着。広州での観光を諦め、ホテル近くの市場をぶらつく。
その土地の人々の生活をみるのは市場を歩き回るのが一番。
ごま団子を友人が買った。
店のおばちゃんは片手を広げるのでひとつ
5元かと思って10元札を出すと、
おばちゃんは目を丸くした。
一つ
5角(1元の半分)であった。
多分このおばちゃんたちの生活は角の単位なのだろう。
市場には食用猫もいた。
「食は広州にあり」という。
彼らは何でも食べる。
その夜食べた蛇と鶏のスープも絶品であった。

 空港で紹介してもらったホテル。
広州は物価が高い。特にホテルは。
一泊
580元(約1万円)これは日本でも高い。
でもガイドブックでは安い方。
部屋はスイートルーム。
応接室があり、トイレ、シャワー、テレビは
2つもある。
こんな部屋に泊まることは一生ないだろう。
しかし、スイートルームのわりには、シャワーのお湯が少し茶色かったり、
穴のあいたタオルがあったり。

 

1月5日

 出国。税関では、日本語で丁寧に対応してくれた。
パスポートを渡した時うっかり帽子をかぶっていたのだが、
「すみませんが、帽子をとっていただけますか?」と言われた。
アメリカなら「
Take off your cap!」と命令だろう。

 中国マスコミは連日オリンピック報道をし、
近代化・西洋化路線をひた走っている。
しかし、一方では観光客が偽札をつかまされるようなことも多い。
我々の仲間も偽
10元札をつかまされた。
よく見るとすかしがない。
都会はきらびやかでマクドやケンタッキーフライドチキンもあるが、
我々の訪れた農村では、テレビもない。
日本のテレビで報道されているようなエリート小学生がいるかと思えば、
農村の小学生たちは赤のスカーフをすることもなくのんびり下校していた。
取り残される農村と疾走する都会。
そんなことを感じた中国への旅であった。


【お金】

 町中の両替屋でも偽札をつかまされることもあるので、
空港での換金がよい。
レートは日本国内より中国でのほうがよい。
帰国するとき、中国空港内に両替所がなく元から円への換金ができない。
使い切るか、レートの悪い日本国内で換金。


すごくおおまかな会計

1)飛行機代:89000

2)ホテル代:約10000円(広州1泊)、約10000円(陽朔5泊)、約17000円(桂林2泊)

3)食事代:約20000

4)交通費(バス+タクシー):約5000+関空往復(7000円)=12000

5)土産+買い物:25000

  内訳:クライミングシューズ=10000円、

     余った元を使い切るため無理矢理買った土産=5000

  したがって、本当の土産代は10000円ぐらい。

                                                  合計:181000

 

【気候】

 晴れればよいが、雨や風が強ければつらい。
ダウンジャケットは必携。
なぜか、晴天でも遠くの方はかすんでいた。田舎でも都会でも。


【食事】

 最近日本のマスコミで中国食品バッシングが続いているが、
マクドナルドはどうなのか?
下町の食堂での食事は安くて最高。
陽朔では焼きたてのパンがおいしい。
朝買って、昼間にザックから取り出してもまだ香りが漂う。
ビールはアルコール度が低く頼りないが、慣れてしまう。
酒は
35度以上。私は、50度の酒は飲めなかった。

【その他】

 何もかも西洋化されていたが、最も中国らしいと感じたのは道路。
大都会の大きな交差点以外に信号はない。
陽朔の町には一つも信号がない。
したがって、歩行者は適当なところを注意して渡る。
しかし、車は歩行者の為に止まることはないので、道を渡るときは最大の注意が必要。
田舎では、道路の中央線はないに等しい。
対向車線も普通に車両が走るので、常に両側を確認して渡る。
友人は
6車線横断敢行を余儀なくされた。

 ホテルはどれも十分設備は整っているが、どこも暖房の効きはいまいち。
英語の通じないホテルスタッフもいるが、中国語ガイドブックを指さすか筆談で。

 土産物屋では、日本語を話す店員が何人もいた。
聞くと、桂林に観光専門学校があり、そこで英語や日本語を勉強するらしい。
語学ができれば、仕事には困らない。