【制作者へのインタビュー(クライミング編)】     

「いつからクライミングをしてるのですか?」
「さぁ・・・『岩と雪』は1984年8月号以降はすべてリアルタイムで購入して持ってるよ」
「それ以前は?」
冬山の練習としての岩登り、って感じかな」
「当時、フリークライミングという言葉はあったのですか?」
「1984年2月に『フリークライミング入門』(マイクル・ロフマン)が出版されているから、あったと思う」
「それは、現在の『フリー』の概念に近いのでしょうか?」
「初期の頃は、1部の人にはA0とフリーの区別もはっきり認識されていなかった」
「ボルダーはありましたか?」
「『試し岩』といわれて、『こんなんできるか?』、ってな感じ」
「装備についてはどうでしょうか?」
'84年Augの特集がフラットソール特集だけど」
「それまでは、何を履いていたのでしょう?」
「それまでは日本の岩にはビブラムのようなパターンの入った靴でないとダメ、と言われた」
「屏風や、滝谷でも草付きとか出てくるから、フラットシューズは危ない、ってことですか」
「近所の岩は所詮『ゲレンデ』にすぎない、と考えられていた。まぁ、そのへんの事は他の本でも読んでーや」
「ところで、すぐ上達しましたか?」
「当時はRCCグレードだった。先輩がリードするのをフォローするだけ」
「デシマルグレードは?」
「六甲の岩場にデシマルが浸透してくるのは80年代後半からかな?」
12とかすぐ登れましたか?
「とんでもない、11でもなかなか登れなかった
初めての12は覚えていますか?」
「城ガ崎『ピスタチオ』12aを '90年3月にRPした(通算4回のトライ)」
「岩を始めて数年の月日が経過してますね」
「現代と比較せんといてくれ!、ジムも無かったし」
「でも、もっと上手い人は居た?」
「もちろん!北山公園の開拓者、名張の開拓者、柏木や芹谷の開拓メンバーが最先端かな」
「12aを登った後はどうしました」
'93年に仕事を辞めて約9ヶ月ヨーロッパに行って、毎日登り続けた」
「上手くなったでしょう?」
「うーん・・・、あれだけクライミングに集中したのに8aを1本7c+を1本くらい」
「ちょっと、気落ちした?」
『もうこれ以上成長しない!?』、って感じ・・・」
「以前ほど、クライミングに集中できなくなった?」
「まぁね、でも '96と '97年、タイに2回行ったよ」
「'97年のタイは途中で香港ハイキングツアーに移行したんじゃないですか?」
「あはは・・・ばれた?」
「その後自然の岩からは遠ざかってますね」
「なんとなく、気合がね・・・かつての仲間の多くが引退したし」
「でも、あなたは完全に引退しませんでしたね?」
「引退するのが怖い」
「潔くないですね」
「ワシは中途半端な人間なんや」
「イジケんといて下さいよ(困ったおっさんやな)」
「以来、ツカズハナレズの状態かな」
「昨年(2002)から自然の岩に復帰しだした?」
「有難いことに、昔のクライミング仲間が誘ってくれるので」
他力本願ですね」
「でも、その内もっとモチが回復するかも?
「最近は何か登りましたか?」
「ここ数年間リードしてなかったから・・・」
「登れないでしょう?」
「やはり、落ちるのが怖くなってるな・・・ボルトが足元に来るとムーブがおこせない
「リードは慣れが必要ですからね」
「でも何とか(12月) 備中・長屋坂『女王様』12a(2撃)、(年末年始)城山で『ドロンパ』12a(2撃)をRPしたぞ」
「RPって何ですか?」
「レッドポイントのことや」(*レッドポイント→1撃できずに、回数を重ねて登ること、『仕事』になると辛い)
「つまり、オンサイトできなかったと、言うことですね」(*オンサイト→人のムーブを見ず、1撃で登ること)
「わかってたら聞くな!」
「12も、『a』しかRPしてませんね」
「ワシにしたら上出来なんや、12は難しいんやで」
「ディヴ・グラハムは1年半で14aを登りましたよ」
「天才と一緒にすな!ワシはぼちぼちクライマーや!」
(2003年3月9日更新)
【項目】 【データ】
身長 166cm
体重 57〜58kg
血液 A型
血圧 60〜120くらい?
体脂肪率 12%くらい?
最高RP 8a(むかし)
最高OS 12a(むかし・むかし)
好みの岩 前傾・ルーフ
クライミングスタイル ぼちぼち・まあまあ
自慢 わりと柔軟(登りは硬い)
弱点 持久力・記憶力(かなり悪い)
持病 花粉症

(2004.2.8現在のデータ)